TOP > INFORMATION > まりの「旅って何だ!?」
    ※これは今は亡き雑誌・MUTTS(マガジンハウス)に掲載された文章です。
     かっこつけてる文章に思えるのは、
     「もしかしてこれを機に文壇デビュー?」という勘違いのためです。(後に失敗)
     言いたい放題を下着姿とするなら、
     これはさしずめスーツ着て一流企業に面接へと言ったところでしょうか。
     まあ誰にでも若気の至りは付き物。
     これを抹消せずにあえて載せているところに、
     本人の自己反省と自傷癖が垣間見れます。

■帰りを気にせず、行きたい所、見たい国に好きなだけいられたらどんなに楽しいだろう。

初めての海外旅行はアメリカだった。
その次もまたその次もアメリカだった。
3回のアメリカ訪問で、アメリカの国土のでかさ、食べ物の量や商品のでかさ、
人間の体のでかさ(主に肥満体)にド肝を抜かれた。
次に訪れたヨーロッパでは、アメリカの近代的な町作りと打って変わって、
歴史に彩られた重厚な造りに心酔した。
その次に行ったタイでは、空港を降りた途端にムッとする
東南アジア特有の熱気と、人々の活気を見た。
他にもあちこち行ってみたが、どの国も人種、建築物、食文化、気候が違っていた。
当たり前だ。
世界には200以上の国があり、私が見た国はほんの一握りにすぎない。
それに夏期休暇という時間制限もあって、その国のほんの一部しか見ないで去っている。

帰りの航空券に惑わされず、行きたい所、見たい国に好きなだけいられたらどんなに楽しいだろう。
金はかかるけど。

いつしかそういう思いが、私の頭の中を支配していった。
で、ついに2000年4月10日、世界一周旅行に出発。
ミレニアム記念とかそういう意味はない。
ただ3月のボーナスをもらってから辞めようと思っただけだ。

資金は充分あった。
小さい頃はお年玉をコツコツ貯めて、大きくなってからは

「今月ピンチでさー(ウソ)」

と言いながら姉の家に食べに行ったり、おばの家では、

「働けど働けど我が暮らし楽にならざり」

と言いながらじっと手を見たりして恵んでもらい貯めた金だ。
がんばったなー。
これはいざという時の保険のような金だったが、
私にとっての「いざ」が今回の旅だった。
しかし、母親はこの金を結婚資金として考えていたらしく、

「結婚もしないで仕事も辞めて遊びに金を使うなんて、バカじゃないの!」

海外旅行をしたことのない母親は、【外国=危険】の固定観念があり、容易にそれを崩せない。
私が冷静に説得すればいいものを、お互い面と向かって話し合うのが苦手な性格ときたもんだ。
親戚・家族を巻き込んでの大喧嘩に発展し、最後はお互いに雑布を投げつけて終了。
家を追い出されてしまった。
そして私の愛するマンガ・CD・洋服たちを、泣く泣く姉と友人に預かってもらい、
後ろ髪を引かれながらも旅立った。さようなら。

■巡ってきましたアジア・アフリカ33ケ国。

韓国料理が食べたいという理由で、記念すべき第一弾は韓国。
連日辛いものの食べ過ぎで、下血しながらも豊かな食生活を送った。
続く中国では衛生面の違いに驚いた。
清潔志向の日本人でなくとも、トイレやごみのポイ捨てに辟易すると思う。
ベトナム料理にハマり、長年の夢だったアンコールワットをこの目で見ることができた。
シンガポールの地下鉄にあるエスカレーターの速さに足を取られ、
ネパールでヒマラヤ山脈を眺め、インドでチャイをすすり、
イランでラマザン(イスラムの断食)を経験した。
内戦の爪痕と目覚しい復興が共存するレバノンへ行き、シリア人の人柄に惚れた。
聖書の世界そのままのエルサレム旧市街を散歩し、
ダイビングのメッカ・紅海で、ライセンスを取らずにダラダラ過ごしした。
50度近くの暑さを経験したスーダン。
独自の文化習慣が発達した異色の国エチオピア。
まさに野生の王国ケニア。
そしてジンバブエでは、深刻な外貨不足からくる闇レートの恩恵を受け、
「1泊1ドルの宿に泊まって、ランコムの美白や
エスティローダーの美溶液を使ってる旅行者ってあんまりいないだろうなー」

なんて考えながら、部屋でキムチを漬けたりしていた。

■楽しければいい。気持ちよければいい。面白ければいい。私の脳みそは本能的な思考だけを最優先させるのだ。

これを書く頃は南アフリカのケープタウンに到着しているはずだったが、
それなりに都会で物資も豊富なジンバブエの首都ハラレが安く過ごせるため、
予定がズルズル延びてしまったのだ。
どうやら私は、予定を立ててもそれに沿って物事を進めるのが苦手のようだ。
タンザニアのモシへ行くつもりでバス会社へチケットを買いに行ったら、
停車中のバスの扉に思いっきり頭を強打して、すっかり行く気が失せてやめてしまったとか、
トルコのアンタルヤ周辺に遺跡がたくさんあったにもかかわらず、
自炊に励んでしまい、結局どこへも行かずじまいってこともあった。
短期旅行だと制限時間内でどれだけたくさん観光できるかが勝負の感があるが、
長期旅行ともなると、そんなに積極的に観光しなくなるようだ。
別に遺跡が逃げるわけじゃないし。
どちらも旅には変わりがない。
旅の定義なんてありゃしないんだから。

■日本じゃあんまり出会う機会のない人達と知り合える。コアでディープな見本市だ。

それにしても旅は楽しい。
マンガが読めないのはつらいけど、毎日が楽しい。
移動→宿探し→観光という繰り返しなのだが、
単調な生活にならないのは、常に自分を取り巻く環境が変化しているからだと思う。
一番大きい要素は、日本じゃあんまり出会う機会のない人達と知り合えるからだ。
旅行している人達は、面白い背景を持っている人が多い。
例えば今一緒にネット屋に来ている人は、17歳で初めて会社を設立したという若き青年実業家だ。
こういう人がいると思えば、ABロードで連載をしている
新宿2丁目のおかまバックパッカーパッカー・まりもちゃんや、
自転車で旅行しててもう5年の人や、
中央アフリカでクーデターに巻き込まれ牢屋に入れられた人など
例を出したらきりがないくらいだ。
ここまでくるともう見本市。
話もコアでディープな内容を1人1人が持っているから飽きることがない。
まるで千夜一夜物語のようだ。
友達をたくさん作ることが旅の醍醐味だという気はないが、大切なプロセスではあると思う。
話を聞くことで各地の情報が集まり、次の目的地の決定する材料になるからだ。
それと、旅行中に「こんな人がいるんだよ」と噂話を聞いた後、
その「こんな人」本人に会うこともある。
こんな時は、ある事件の渦中の人物に偶然出会えたような錯覚が起こって、
ちょっとミーハーっぽい気分を味わえる。
こういうのが長く旅行を続けられる要因なんだろうなー。

■勝手気ままな私と家族をつないでいるのは姉とのメールだけ。

でも、私がこういう風に気の向くままに旅を続けていると非常に困る人達もいる。
一人はこの旅を一緒に始めた同行者。
韓国からエジプトまで一緒だった相方は、いつも私に振り回されっぱなしで、
さぞかし疲れたに違いない。
そして日本での諸手続きを一切合財お願いしている姉。
パリとロンドンとローマの違いが多少分かる程度の姉にとって、
スーダンとかルワンダといった国はどこにあるんだかさっぱりだろう。
メールが来なければ

『アフリカでライオンに食われてるんじゃないか』

という心配が彼女に終始つきまとってたはずだ。
(誤解のないように言っておくが、アフリカならどこでも動物が見れるわけではない。
日本でどこでも舞妓が見れるわけではないのと同じように)
母親と私は、姉を通してお互いの消息を知ることになる。
ということは、

「まり宛てのエステの勧誘電話が多い」

「国民年金の督促状がまた来た」

とかいう苦情も姉に来るわけで、つくづく
こういう妹を持たなくてよかったと本当に思う。
姉には、

「そういう勧誘が来たら死んだって言っとけ」

と頼んでおいたが、さすがに母親はそこまでは言えないらしい。
噂が広まって誰かが香典を持ってくることもあり得るからか? 
そうじゃないか。

■人生全部予定外でできているようなんで、先のことは私にもわからない。

唐突だが私の今後の予定は、未定。
いやほんとは未定じゃないんだけど、いつ気が変わるかわからないので未定にしておく。
だって、さっきも書いたけど私の旅行は予定外の行動が多いから。
南アフリカから、とっととヨーロッパに飛ぶつもりだったけど、
ナミビア&ボツワナにレンタカーで行くことにしちゃったのも予定外だし。
それを言うならアフリカに来ること自体予定外だ。
それに1年以上かかってるのも予定外だし、だったら仕事を辞めたのも予定外か。
なんだか私の人生全部予定外でできてるようなんで、先のことは私にもわからない。


(C)2002-2004 Sakai Mari/MARITABI & G3-GRAPHICS